車日記(1999年1〜3月)。
1999/03/24
あおさんがトヨタ純正ハイポイドギアオイルをくれる、というので夜な夜な調布に移動。その途中、助手席側の床が濡れているのを発見する。助手席自体は濡れた形跡がない。フロアマットだけが濡れている。このことから察するに、Aピラーからドア前よりにかけての水路のゴムが浮き上がって水が漏れ、それが室内に入ってきてるんだろう、という結論に達する。洗車の時にそのような兆候はあったし。うー、どうすべか。

新調したスピードメーターの走行距離の単位はやっぱりマイルらしい。横浜から調布までいつも50kmぐらいは回るのに、30しか回らなかったし。

翌日、とりあえず工具がないので、あおさんの実家から持ってきた家車(U11ブルバ)でストレート横浜店へ。オイルサクションガン(500ml)を購入する。でっかい注射器みたいなやつである。調布にかえってオイル交換を始めようとするが場所がなかったので、やむを得ずドラスタ府中店でやってしまう(爆)。駐車場でおもむろにジャッキアップし、まずはオイルを抜こうとするが、ドレンボルトと注入口のボルトにあうコマがなく、しかたなく24mmのそれをその場で購入。ボルトは両方ともめちゃくちゃ固く締まっていたが、コマをあおさんに押さえてもらってラチェットハンドルの先を私が蹴り、なんとかクリア。ドレンボルトを廃油受けに落とすのはお約束(笑)。それまで入っていたミッションオイルはそれほど汚くなかった。うーん、勿体無い。

オイルが抜け切ったところで、新しいオイルの注入を始める。が、オイルの固さの所為でオイルサクションガン一本分を詰め込むのも非常に疲れる作業である。疲れ方の目安は10kg弱の荷物を抱え上げるぐらいが一回分であろうか。ミッションの容量が4.2lだから、この作業を最低9回はやらなきゃならんわけである。最初はあまり苦にならなかったが、3回目以降はやる気ゲージも底を尽きっ放しだった。作業効率も落ちまくりだ。しかし、全部注入しないと帰れないので、何とか終わらせる。ひー。もうやりたくねー。そんな中、あおさんは先日擦ったというU11の補修をやっていた。

ミッションオイルはちょっとだけ余ってしまった。その分は返そうとしたが、いらんわ、と突っ返される。どうしろというんだー。こんな臭いものー(爆)。

1999/03/18
港北マルシェから入荷の電話が入っていたので、取りに行く。その近所のファミレスの駐車場でウインカーレンズだけ早速交換。ネジで2カ所を止めてるだけなのであっという間だ。帰りに十日市場のオートバックスでステアの傾きが直るスペーサを購入。やっと買う気になったか、と自分でも思う。

帰宅後、スピードメーターの交換を行う。修理書を見てやったので分解は非常にすんなり行く。元あったスピードメーターをひっぺがすまでは良かった。が、新しいメーターを組みつけようと、メーター裏面のネジを締めるが、一本だけどうしても締まらない。回せど回せど空回りするばかりである。一回はずして原因を調べようとするが、そのときメーターの一部で、メーターのカバーに固定する穴を根元から折ってしまう。……組んじゃえば見えないからいいや〜(爆)と思い、邪魔なかけらをとろうとするが、今度はかけらのくっついていたでっぱりを根元から折ってしまう。これまた、……組んじゃえば見えないからいいや〜で解決(重爆)。

ネジが締まらなかったのは、ネジの受け側がなかった為だった。どうやらリミッター回路の一部になっているらしい。こりゃ締まらなくて当然である。しかし、リミッターとキンコンがスピードメーターの針そのものから速度を検出しているとは思わなかった。まあ、確かにそうやった方が安上がりではあるが……。メーターを見る限り、リミッターはネジ一本を外すだけでカット出来るものと思われる。しかし、バラすのはかなり面倒である。その後の組みつけはネジも余らずすんなり行く。ステアリングを外したついでに傾きが直る奴もくっつけ、完了。すべてを組みつけた後になってスピードメーターに傷がついているのを発見してしまう。まあ、メーターを落として破損したときについたんだろうと考え、また分解するのも面倒なのでこのままにすることにした。どうせ普通には見えないし。結局交換に、合計で4時間近くかかってしまった。これで私のAWはウインカーは欧州、スピードメーターは米国、というよくわからない仕様になってしまった。一応、UK仕様という逃げ道があるらしい。が、本当にそうかどうかは定かではない。

ちなみに、純正メーターは走行距離78130kmでお役御免。

1999/03/11
気を取り直して、ストレート横浜店へ。ソケットレンチ(3.8k円)、エアゲージ、ポンプ(共に約0.8k円)を購入。ミッションオイルを入れる工具は、欲しかったもののすっかり忘れて、存在の確認も出来なかった。無念。

前々からワイパーがダメだというのはわかっていたが、とうとう我慢できなくなり交換を考え始める。ビビり初めちゃおしまいでしょ。マジで。

1999/03/08
ストレート横浜店に行くついでに、一部では有名であろう港北マルシェに行こうと電話をかける。ターゲットだった欧州仕様のウインカーレンズは在庫がなかったが、せっかくだから原チャで行く。三月だというのに寒すぎ。つい二、三日前までの陽気はどこへ行ったんだか。

港北マルシェはビルの三階の一室で、いわゆる売り場と言うものは用意されてないようだった。ターゲットであるウインカーレンズを注文する。

そこで、USA仕様のスピードメータが安く出来るんだけど、どう?と聞かれる。通常25k円のところが箱なし展示品特価5k円だという。数分悩んだあげく、結局買ってしまうことに。走行距離がリセットされるのは忍びないが、どうせAWを売るわけでもないしどうしても嫌になったら誰かに売りつければいいし(爆)、と理由をつけて、買うのを決めても悩む私に引導を渡す。引き取りは、ウインカーレンズが入荷し次第、となった。

帰りに今日のメインであるストレートに行く。が、月曜日は定休日であった。すっかり忘れていた。

1999/02/22
がっちゃ氏とドライブを兼ねて研究室の用事で調布へ行く。その帰り、77777kmに走行距離が至る。トリップメータも777.7kmのオマケつき。写真はとらなかった(笑)。自分が運転してなかったのが心残りではあるがまあよし。S/Cも布教できたし。これからも宜しく。

1999/02/19
SARさん主催、つくばサーキット走行会である。S-AWの撮影が7時半からあるというので、それに間に合うように5時起きをするが、湾岸線に入り忘れて横横に行ってしまうという大失態。結局、8時頃到着する。朝飯を食べていたので朝出来るはずだった完熟走行はできず。よく考えれば、マヌケな話である。

小学館の撮影後、走行準備。用意が悪く、タオルやガムテープなどを借りてしまう。この頃から止みかけていた雨がまた降り始める。そんなわけで、路面状況はこれでもかというぐらいウエット。このような悪条件の中、初めてのサーキット走行はスタートした。まずは4周の完熟走行。しかし、いきなりスピンをかます。本番が始まっても、ハードにブレーキすると必ず前がロックする、リアの滑り出しが全くわからない、という状況で怖くて全開できず。それでもスピンはたくさんしてしまい、後ろの人に迷惑をかけまくる。走行時間自体は短く感じたが、それでも十分怖かった。結局、誰かを抜く、なんてことは皆無。あらゆる人に抜かれまくり、サーキット最遅の名をほしいままにした。

その後みんなで昼飯を食べ、雑談に終始。最後まで残っていたが、雨が雪になり、さらに激しく降ってきたので帰ることにする。その後、何にも考えてなかった所為で、列の先頭になり、さらにマヌケな別れ方をしてしまう。あいや、すみません。

一人になった私は、高速料金をケチるべく、16号を横浜まで乗っていく事にする。しかし、やっぱり16号。混むところはとことん混みまくり、家につくまでかれこれ6時間もかかってしまう。これなら渋滞しまくりの首都高の方がまだマシだったかなあ、と反省。

1999/02/16
つくばに臨むべく、余計な荷物を降ろす。純正ステアリングやらブレーキフルードやらを降ろしまくり、残したのは工具、非常停止機材、フロアジャッキのみ。

1999/02/13
夜中の1時前に到着。ブレーキの件は解消できたので、結局作業はせず。ついでに借りていたフルード交換グッズを返す。飯を食いに行き、学校の寮に車を止める。あおさんの家で飲むが、日本酒一杯飲んだだけで、速攻で陥落する。

翌朝、飯を食った後、某バックス三鷹店へ行く。そこでグローブを購入。続いてJマートへ。値段に負けて、前照灯のバルブを買ってしまう。まあ、3kしなかったし〜。他にも数店巡ってヘルメットを探したが、結局Jマートが一番安く、もう一回戻って購入。JIS-C準拠で10kしなかったし、まったく問題なし、である。

車を止めていた寮へ行き、エンジンオイルと前照灯を交換。オイルを抜いている間にライトを変えるが、一緒に入っていた小さいライトが左右で違うものが入っていた。でもこのライト、何に使うんだろ(爆)

オイル交換も難なく終了。その後サークルの同輩である組長のところ(後楽園の近く)に寄り、帰宅。帰り際に、某戸塚カントリーへ寄り道。土曜は普通の車も多かった。

1999/02/12
ブレーキフルード交換に必要なものを買いに行く。買い物前に給油をする。生まれて始めてハイオクを飲ませる。違いはまるっきりわからず。もともと寒くてフケはいいし。まあ、あんまり値段も変わらないし、今後は気分によって、だろう。

その後、ダイクマへ。前から買おうと思っていたフロアジャッキ、そしてエンジンオイル、その他オイル交換グッズを購入。オイルは安いと言う理由でCastrolのXF-08にする。カストロールはベースが弱いからダレやすい、と聞いていたので避けようと思っていたが、前述の通り、値段に負けた。やっぱり量販店は安いわ。

やっとブレーキフルードの交換をする。右前から始めるが、新しいのと古いのの境目がわからず、500ml全部を使ってしまう(激爆)。これはまずいので、近くのコックピットで1l買ってくる。その後、多分変わってるだろう、という憶測で右前を終了させ、他のところもやる。後ろは明らかに汚かったのでわかった。その後は順調に作業が進み、結構早く終わってしまう。が、終わると同時に雨が降って来たので、予定していたエンジンオイルの交換は断念する。とりあえず、変化を見るべく走らせるが、ブレーキのペダルの位置が明らかに下がってしまった。思いきり踏み込むと、床に届いてしまう。効き具合が悪くなってないのがせめてもの救いか。ブレーキフルードの事で、あおさん(某AM-MLに出没するらしい)に相談する。多分、エアが噛んでるんだろう、来るなら手伝うよ、という事で手伝ってもらうことに。何時にしようか、と話しているうちに今日やってしまおうと言うことになり、一路調布へ。が、走っているうちに、ふとペダルがいつもの位置に戻っていることに気がつく。……。アホかーっ。

途中、246で路上の故障車に気を取られていると、前方で渋滞。あわててフルブレーキすると、左前がロック。コントロール出来たので、左車線に逃げて事なきを得る。前がスタリオンだったので、ある意味余計にほっとする。

1999/02/01
ブレーキフルードを交換する予定だったが、天気が悪くなりそうだったので断念する。いつ交換する気になるかは不明(爆)

1999/01/29
買ってあったブレーキパッドを入れた。ブレーキ回りをバラすと、修理書よりシムの枚数が多かったり、部品の点数が少なかったり、リアのシムとパッドがあわなかったり、フロントのピストンが引っ込まなかったり、といろいろあったが、一応つけられた。結局、変形していたシムは使わず、ブレーキグリスも使わない超手抜きな手法であったが、掃除だけはしっかりやった。出るだろうと思われていたブレーキ鳴きは、シャーと言ってるだけだったので気にしないことにする。

ならしを兼ねてドライブへ。途中、左のリアからゴトゴトと異音が発生。タイヤを止めるボルトが緩んでいた所為のようだった。他の車輪も締め方が甘かったようだ。とりあえず、落輪しないでよかった。

交換したパッドは、踏む量に応じてかかり具合が変わる、非常に扱いやすいものだった。でも、一回だけ高速からドカンと踏んだら左フロントだけロックしてしまった。まあ、ドカンと踏まなければいいだけの話。全く問題はない。

ドライブがてらストレート横浜店へ行く。確かに安かったが、どのサイズのソケットレンチを揃えていいかわからず、出直すことにする。

アクセルをちょっと開けただけで油圧が上がるようになる。もう3000km近いし、そろそろオイルがヘタって来てるんだろうか。

1999/01/25
数カ月ぶりに洗車をする。と、突然雨漏りが再発。今度はTバーとドアガラスの間から漏れているようだ。洗車の時に斜面に斜めに駐車した所為かなあ、と思いつつ、Tバーのガラスとボディの間を適当に拭いてガラスをはめ直したら直ってしまった。やっぱり水路詰まりが原因なんだろうか。

1999/01/22
しみずさんにローターを見てもらう。まあ、大丈夫だろう、とのことであった。後はいろいろ雑談を交わす。使っていないショック(KYB NewSR)があるらしく、あげますよ、とのことだったので、ショックはそれをつけてみてから考えようと思う。ちょうど欲しかったやつだし、好都合である。

ストレートという工具屋が横浜にあったのを知る。安いらしい。陸運の近くだし、今度行こう。

1999/01/20
ブレーキパッド到着。箱の中にはパッドとユーザー登録ハガキだけで、梱包材なんてものは入っていなかった。ちょっとびっくり。

1999/01/18
ウインカーの件は、ただの玉切れだった(yozさんどもっす)。共販で玉(\160)を購入して交換。ものの2分で終わる。

1999/01/14
ブレーキパッドを注文しにタイタというお店に行く。通販メインのようだが、広告を見る限り来店しても大丈夫そうだったので、行ってみることにした。店はオフィスビルの二階で倉庫のようであった。結局、パッドはプロジェクトミューのHCに。2日から一週間で届くようだ。

夜、走行中にいきなり左のウインカーの点滅周期が以上に早くなる。ハザードは大丈夫なんだが……。

1999/01/07
新年の挨拶〜という名目でアクトモーターへ行く。後藤さんはいなかった。この前会えたのは運が良かったんだろう。

その後、某所で安売りしていたステアリングを1〜2時間迷った挙げ句買ってしまう。ナルディのクラシック360φである。同時にボスも購入。家に帰ってから、小嶋に工具を借りて交換をする。

作業は純正ステアリングを引っこ抜く以外は順調だった。純正ステアは修理書ではプーラーを使って引き抜いていたが、ボスの説明書には、そのまま引っこ抜けと書いてあった。プーラーなど持っていない私は結局そのまま引き抜くことにした。最初はいくら引っ張っても外れる気配すらなかったが、5-56攻撃をすると、あっという間に抜けてしまった。やっぱり5-56は偉大だ。その後、ハンドルを取り付けるもハンドルが少し傾いたところにセンターがあるようだ。これも直さなければ……。

同時に買ってきた錆止めをメンバに吹き付ける。錆をとるのは面倒なので、上から固めてしまうやつだ。一応満遍無く吹き付ける。効果はまだ見てない(爆)

ガラスの補修材も買ってきた。天候、気温などいろいろ制約があって面倒だったので、結局使わず。

1999/01/04
5時起きの予定だったが、なぜか4:50に起きる。こっそり出発するつもりだったが、見つかってしまった。一応、近所迷惑になるかなと思い、少し離れたところまで押そうと思ったが挫折する。帰りは高速料金をケチろうと下道を走っていたが、道に迷って高速にのる。早朝の東関道、湾岸線は非常に快適であった。結局、家には7時頃ついた。それでも、首都高は浮島で降りてきた。

1999/01/03
TOMKANさんのところのいじろう会へ邪魔しに行くため、一部の人には有名な千葉県の多古町へ行く。早朝5時起きで8時には待ち合わせ場所である多古町役場へ到着。待ち合わせの時間が9時だったので、近所をふらつきながらお迎えを待つ。TOMKANさん、ABARTHさん、Alpineさん、T-太さんがほぼ9時きっかりに表れ感動する。

その後、SARさんが到着。しばし、AW談議。そこで、私の車がADパッケージだったことが発覚。リヤスタビがついていたらしい。他にも、ショックの抜けを指摘される。けっこう乗り心地が良くて気に入っていたんだけどなあ(爆)。また、ブレーキローターに段が入ってしまっていることもわかった。

しばらくして、他のメンバーは直接行けるだろうということでTOMKANさん宅へ移動。すると、yozさんが既に到着していた。8時から待っていたらしい。Alpineさんに左のブレーキランプが点いていないと指摘される。全く気づかなかった……。

その後、中村さん、ふじたさん、しみずさんが続々と到着。各人がそれぞれの作業をする中、暇な私は自分の車の洗車(一部)をしたり、SARさんの邪魔をしたりしていた。

やることがなくなった私は、ブレーキランプが点かなくなった原因を探るが、ただの玉切れだった。早速、TOMKANさんの4号車から同じ玉を奪い、修理は完了する。他にもエンジンフードが上がらないのは5-56攻撃で直ってしまった。

中村さんのAWとしみずさんのAWに試乗&同乗する。しみずさんの車に乗っていて、いきなり酔う。ウレタン補強&ロールゲージによるボディ固めは偉大であった。両方とも、いろいろいじってあって面白かった。総評すると、大径プーリーは効果がいまいちわからなかった&ブースト計は面白かった、ってところだろうか。ふじたさんが帰ったあと、みんなで飯を食いに行き、その帰りにちょっと走りに行く。私は最後尾を走ったのだが、立ち上がりでがんがん離されていく。大径プーリーは偉大だ、と思った。

その後、中村さんとSARさんが帰っていく。私は昼間の酔いが効いて、帰れないっぽかったのでTOMKANさん宅で寝てから帰ることにした。またAW談議に終始するが、私は早々に脱落する。