車日記(1999年7〜9月)。
1999/09/27
ゆっけを迎えに行ったついでに宮ケ瀬に行った後、近所の路地で左リアフェンダーアーチを擦る。思ったより傷は深く、塗装の下まで行っているようだ。Shit.タクシーめ。邪魔過ぎるぜ。

1999/09/26
9時ごろ起床。しばらくボーっとした後、作業にかかる人達につられてガレージへ。しみずさんはミッションの組み立て、大塚さんはショック交換の続き、まささんはレリーズシリンダ交換、ZEROさんは車高調の調整、Alpineさんはよくわからないけど何かの作業(爆)をしていた。後から夜勤明けのふじたさん、来る予定ではなかったSARさんとyozさんが到着。yozさんが来ても誰一人驚かなかった(笑)

一番最後に作業に取り掛かった私は、足回りの増し締め&インシュレータの除去をやる。足回りの増し締めは、福井での作業の時にしっかり荷重をかけて締めなかったため、もう一回することにした。最初は前。タイヤを外し、ロワアームをジャッキで持ち上げて増し締めする。左右とも、ほとんどの個所が増し締めできた。

続いて後ろは左から。タイヤを外すと、シェルケースとスタビリンクが離れていた。インシュレータを外すためにはサス一式を降ろさねばならず、スタビリンクも降ろさないとつけられないので、サスを降ろす。スタビリンクを止めるのは、T−太さんからボルトとワッシャーを頂戴した。インシュレータはスプリングコンプレッサーをかけてT−太さんのナイフで一撃。増し締めはしたが、右の後ろは面倒だったので、結局やらず(爆)。当初やる予定だったエンジンマウント(左右)の交換も、しみずさんの作業をみていて、そこまで辿り着くのがめちゃくちゃ大変だというのがわかってしまい断念(重爆)。交換されるのは何時になるだろうか……。しみずさんの作業が終わった後、10時半頃に流れるように解散。恒例通り下道を爆走しようとしたが、空いてる湾岸線につられてそちらを使う。結局、1時頃帰宅。途中で勝田の方に行ってしまっただけあって、ちょっと時間がかかってしまった。が、湾岸線はぬうわキロ順行で行けた。

作業の効果は、まず前ほど左に行かなくなった。これはインシュレータを引っこ抜いて、左右のサスの長さに差がなくなった所為だろう。次に、高速走行時のハンドルの振動が100キロで出ていたのが140キロぐらいまで大丈夫になった。でも、右後ろが振動し始めるのが早い気がする。今度、増し締めをしよう。それでも、あまりまっすぐ行こうとしてないような感じがある。どこに行くのか分かりにくい、フラフラした感じがする。やっぱりアライメントの調整はしてもらいたいところだ。

1999/09/25
ガレージT−太でのいじろう会に参加するべく、千葉へ。10時に東金道松尾横芝線の終点のセブンイレブンに集合。余裕を持っての8時起きのはずが土曜日のくせに首都高は混みまくり、横浜新道、狩場線、湾岸線、京葉道と行っている間に10時ぐらいになってしまう。東関道から京葉道に入るところで、三重ナンバーのえらく綺麗な青いAWを目撃。yozさんだとバレバレだった。結局、30分程遅れて到着。しかし、肝心のしみずさんがまだ来てなかった。

しみずさんが到着した後、ガレージT−太へ移動。しみずさんは早速ミッション降ろしの準備を始める。他にも中村さんはブレーキパッドの交換、92トレノGT-Zの方はT−太さんの92レビンからハイエナ行為、カプチーノの大塚さんはショックの交換と、場所がなかったので自分の作業はやらず。ダベったり、しみずさんの見学をしたり、交換した部分のアーム(ボールジョイント付き)を中村さんにあげたり、中村さんが私のに乗ってホイールバランスが狂っていると言われたりしていた。

日も暮れたところで炭火で焼き肉&宴会。最終的には肉の味がわからなくなるほど呑みまくったが、いろんな話が飛び出し非常におもしろかった。最終的に、T−太さんの家でみんなで寝る。10人を越える人数が難なく収まってしまうところは田舎万歳(失礼)である。

ちなみに、この日の登場者は、T−太さん(インプレッサ)、中村さん(AW11)、大塚さん(カプチーノ)、92トレノの方、Alpineさん(RF900R)、しみずさん(S-AW)、ガレージに直接来たのは、ZEROさん(AW11)、まささん(AW11)、ふじたさん(AW11、途中で夜勤へ)、TOMKANさん(EF8、仕事上がり)、蘇芳さんたち(途中帰宅)だった。

1999/09/23
深夜、セミバケ取り付け後初めて走りに行く。セミバケは、最初こそ膝の位置が上がって戸惑ったが、深く座っても腰が痛くならなそうな感じだった。よっしゃ。

福井から帰ってきた時より、更に左に行くようになってしまった。パッと見、左前が豪快にトーアウト方向に行ってしまったようだ。左前の本締めをしたのは非力のtomoさんだったなあ、と思いつつ、インシュレータを取っ払ったらアラインメントをとらなければ、と思う。トーイン調整ぐらい自分でできないかなあ。確か簡単だったと思うのだが……。

ストレートへ工具を買いに行く。17と19、19と21のメガネレンチとクロスレンチを購入。もうちょっと大きいのも欲しかったが、物がなければ仕方がない。

1999/09/18
リアの片方に入れ忘れたアッパーシートと思われたものは、スプリングの下に入れるインシュレータだったらしい(爆)。ふじたさんは取っ払ってしまったらしい。見習ってしまおうか。アラインメントは多分関係ないだろうし(本当か?)

1999/09/11
シートの取り付け。難なくつく。座るだけしかできなかったが、座面の高さはあまり変わらないようだ。あとは、運転してみないと何とも言えぬ。旧シートは例によって玄関に鎮座。その後、ゆっけに京都に連行される(爆)。相変わらずクレイジーだ。

1999/09/10
皿ネジを買いに藤沢のハンズへ。難なく見つかる。家に帰って、とりあえずシートとレールを合体。S13のシートレールに合わせてアダプタの穴を設定した所為か、穴がずれた。しかし、なんとかくっついたのでこれでOKとする。1mmぐらい前後のどっちかが浮いてもわからんでしょ。

1999/09/09
シート用のネジを回収しに部室へ。組長曰く、M8の皿ネジだけなかったそうだ。こいつはまあ適当にハンズかどこかで買うか。

1999/09/08
10時半ごろ起床。風呂に入ったあと、12時半ぐらいに東京に向けて出発。tomoさんが翌日にバイトが入っていたのでこうなってしまった。移動→作業→移動の強行軍である。

帰りは、27号と8号で福井まで出て158号で松本へ、そこから20号で帰るルートをとった。松本までの道はめちゃくちゃ快適であった。信号も車も少なく、前に何時ごろ信号に引っかかったか忘れるくらいの流れで、時間平均50キロは出ていた。松本には7時到着。20号はさすがにあまり流れず、調布には12時半ごろ到着。自宅には2時ごろ帰還。はあ。めちゃくちゃ疲れた……。とはいっても、行きよりは格段に疲れは少なかった。やっぱ、空いてる道と渋滞とじゃ疲労度が段違いだわ。帰りは眠くならなかったし。

パーツ交換の効果の程は、やっぱりショックが一番でかかった。不快なフワフワ感も消え、ブレーキ、コーナー、あらゆる面で粘りが出た。今までのフニャフニャした感じの走行感覚もまともになったように思う。しかし、やっぱりアラインメントは狂った。左に左に行くようになってしまった。アッパーシートを片方入れ忘れた所為かなぁ……。

1999/09/07
8時から作業開始。まずはフロントのショック交換&ブッシュ交換。シェルケースはブレーキホースを外さないと完全に分離できないようになっている。それはめちゃくちゃ面倒なので、それを取り出す穴をグラインダーで作る。ショックをシェルケースごと切り離し、スプリングを外し、シェルケースの蓋をパイレンで緩めた瞬間、ぶしゅーという音と供に吹き出すオイル。ショックは完全にブッ壊れていた。ストロークさせて遊んでいると、そのたびにオイルを吹き出し、ポロッと一部が取れてしまうぐらいだから、かなり来ていた。四輪ともこんな状態だった。南無〜。しみずさんが「バネしか効いてないんじゃない?」と言ってたのは正解のようだ。

ブッシュはスタビブッシュやボールジョイントなどは、あまりダメそうではなかった。ストラットのブッシュはかなり変形していた。タイロッドエンドは、ショックを外すときにゴムが破れてグリスが出てきてしまった。交換の効果はあってもわかるかどうかは怪しいなあ、と思いながら、3人の人員とインパクトを駆使してフロント側をどんどん交換していく。

3時ごろ、やっとこリアに取り掛かる。ここで、ボディをより高く上げるべく、ジャッキアップポイントに木片を突っ込んでいたのが災いし、車をジャッキから落としてしまう。左はタイヤが下敷きとなり、右はサイドシル後端にウマがめり込んでしまった。サイドシルは見事に変形。外見にはあんまりダメージがなかったのと、ハブが無傷だったのが不幸中の幸いか。ハブが逝ったら帰れないし。

リアも特にトラブルなく進んだものの(そういえば、右後のスプリングアッパーシート(?)をつけ忘れた)、途中で3人の気力、体力共に底をつき、エンジンマウント左右とリアストラット用強化ブッシュは交換できず仕舞い。リアのスタビブッシュの一つもネジをなめてしまい交換できず。結局、作業に区切りをつけたのは夜中の4時半だった。今日も死んだ……。

1999/09/06
午前2時、準備ができたので出発。出発予定時刻の3時に調布へついたが、あおさんの方で作業が残っていた。作業終了後、組長を茗荷谷まで送ってから準備をして出発、と言う流れになった。その間に私はtomoさんを回収する。

tomoさん回収後、あおさんはすでに待ち合わせ場所にいると思ったが、まだついていない。ここはひたすら待つしかないので、待つ。ふと、タイヤを見ると豪快に沈んでいるではないか。空気圧をチェックすると左後ろが1キロぐらいしか入っておらず、他も軒並み基準値以下。ダメぢゃん>私。ポンプは何時も積んでいるので事なきを得る。しかし、空気圧計がめちゃくちゃ使えない。指すと空気が漏れ続けるってどういうこっちゃ。

あおさんが到着し、出発にこぎつけたのは結局5時であった。ルートは246と1号をひたすら突き進むというもの。あおさん曰く、郵便局のカードがひん曲がって使えなくなって金がないので、高速をガンガン突き進む、というマネはできないらしい。私はなるべく高速を使いたくなかったので好都合である。こんな時間に出発して大丈夫かと思ったが、案の定、厚木の辺りで渋滞に捕まる。

その後、御殿場以降の246は快適だったものの、1号はこれでもかというぐらい工事をしまくっており不快。名古屋に入ると渋滞がひどくこれまた不快。四日市までそんな状況で、スイスイ流れたのは鈴鹿越えと大津を越えた後ぐらいであった。逆に、福井県に入ると、道の流れは異常なほどに早く、トラックでさえ峠道を60キロ超平均で走っているんじゃないかと思えるぐらいで、ついて行くのがやっとであった。

そんなこんなで、あおさんの美方の実家についたのは10時過ぎ。合計17時間ドライブ(強行軍)であった。腰と足の付け根が痛い。ビール(350ml)を突っ込んで、すぐさま意識消失。尚、途中、何度も寝そうになっていた(信号待ちで寝ていた)のは秘密である(爆)

1999/09/05
アダプターの加工をしに部室へ。途中、ストレートでウマとつなぎ、ついでにメジャーとビニールテープを買う。更にタイタへカタログを取りに行く。

アダプターの加工は、ボール盤でただひたすら穴を開け、更に、平ネジが入るように穴をすり鉢状に広げる、と言った具合。単純に穴を開けるまではよかったが、広げるのにけっこう苦労し、穴が汚くなってしまったが、くっつけばOKなので全く問題なし。

あおさんと福井に行くの(実家に帰るの)何時にしますか、と話しているうちに、今日の深夜に出発することになってしまった。相変わらず行き当たりばったりだ。組長が翌日秋葉原に行くというので、シート用のネジの足りない分の調達をお願いし、道連れのtomoさん(サークルの先輩)に今日出発と言うことを伝え、私は出発の準備をするべく帰宅。果たして無事に辿り着けるんだろうか……(体力的に)。

帰宅途中、部室に今日買ったばかりのメジャーを忘れてきたことに気づく。あぅーっ。

1999/09/04
バイトから帰ると残りのエンジンマウントが届いていた。ホッ。福井行きにギリギリ間に合ったぁね。

1999/09/02
シートの穴の間隔を計る。どうやら、レカロとはまた違うサイズだったようだ。ぬぅ。アダプターを加工するかな。現段階ではそれが一番安く上がりそうだ。

1999/08/31
ゆっけから、シートに穴が6ケあることを聞く。S13で使っていた穴より縦間隔が狭い穴があるらしい。……それってレカロの穴につける為の奴じゃない?と思ったら、なんか合いそうな感じだった。レカロ用のシートレールも売ってたぞ。……。ハマった。誤算だ。どないしょ。

1999/08/30
忙しい一日。まず、仲町台のタイタへ。未だに来ない強化エンジンマウント(リア)に関して聞きにいったが、こっちではどうにもならないらしい。まあ、しょうがない。エンジン支えないでも交換できるし、福井でネジが緩まるようにしとけばいいや。ついでにTRDのカタログを注文する。

続いてストレートへ。ウマとつなぎを買いにいったが、金が乏しいので見送り。買いに行く暇はあるのか?

最後にオートフリークへ。金がやばかったがBRIDEのレールとレカロアダプターらしきものを購入(残金200円ちょい)。原チャで持って帰る。ケーニッヒ用の穴を新たに開ければいいや、と思っていたら、アダプターのネジ穴とレールが干渉。参った。

1999/08/25
学校帰りにオートフリークによるが閉まっていた。水曜定休らしい。南無〜。

1999/08/24
原チャで学校に行くついでにオートフリーク横浜に寄り道をする。16号と246の交差するところ(東名入口交差点)の近くにある中古のパーツ屋である。ケーニッヒのセミバケにあうシートレールを探すが、SPATSのそれっぽいやつと、ただRECARO用とだけ書いてあったのがあった。確認しようとも思ったが、買っても持って帰れないので、見送り。後で聞いておけばよかったと後悔する。

やっとこ初心運転者期間が終了。とりあえず一安心、しかし、後一年は頑張りたいところだ。

1999/08/23
免停講習。朝7時ぐらいに起き出し、地下鉄で岸根公園へ。朝8時をちょこっと過ぎたぐらいだというのに、交通安全センターへの道は死ぬほど暑い。講習は適性検査、ビデオ、シミュレータ、講義×3、テストで終了。内容は教習所でやったことばっかりであった。見たところ、29日短縮にならなかった人はいなかったようだ。テストがしっかり採点されているかどうかも疑わしい。要は寝てなきゃOK、である。無駄だ。

1999/08/10
サスペンションアッパーマウントが届く。後はエンジンマウント一つと強化ブッシュ少々(多分)。まだ注文から2週間も経ってないしこんなものだろうか。福井行きまでまだ半月以上もあるのに不安になるのが何とも言えん(苦笑)

1999/08/04
初心者講習。10時から6時まで拘束された。やっぱり面倒だった。それだけの時間で15k円なら、教習と考えれば安いのかもしれず。でも、余計な出費だ。とりあえず、最低でも月末まではとっ捕まんないように気をつけなければ。

1999/08/03
ゆっけのシルビアを廃車にするらしいので、セミバケと真空計をもらう。BLITZ製の真空計はあおさんの予約。原チャにつけるらしい。セミバケはケーニッヒというとこのやつらしい。重い。10kgはありそうだ。とりあえず、取り付けられる目処がたっていないので、ゆっけの部屋に置いておいてもらう。純正のシートレールを加工するのも無理っちいし、わざわざシートレールを買うのも高くつきそうだし。レカロとかと共用なら有りだけど。

1999/08/01
合宿の帰りにゆっけのバイトするゲーセンによったが、まだ開店前で暇だったので、ナンバープレートの位置を元に戻す。自作ステーに使ったボルト&ナットは結構錆びていた。数カ月さらしただけで錆びてしまうとは。雨に当たるところは錆びない奴にしなきゃダメね。ゆるまなくなったらいろいろ面倒だし。戻しついでにナンバープレートを下向きにしたのは秘密だ。

家に帰るとショックと一部のブッシュ類が届いていた。四点一セットまたは二点一セットで注文をされるであろうエンジンマウントが三点だけあった。うーん。謎。

1999/07/31
カーステの修理が完了しているという電話が入っていたらしいので取りにいく。メカASSY交換になっていた。もうさすがにすぐまた壊れるということはないだろう。今回は傷ついたCDはなかった。

共販に注文していたパーツを取りにいく。サスペンションアームNo.2は注文したとばっかり思っていたが注文してなかったようだ。伝票の確認から検算までしてしまった(恥)。車のパーツって結構重いのね。まあ、1tもあるボディを支えてるわけだし当然か。

1999/07/29
昨日のリベンジをしに共販へ。ボールジョイント、タイロッドエンド、サスペンションロワアーム、サスペンションアームNo.1、サスペンションアームNo.2、スタビブッシュなどを注文する。合計で55k円ぐらいまで行ってしまった。やり過ぎたか(汗)。翌日の1時半に全部届くらしい。まだまだメーカーにはあるのね。しかも一日で来てしまうのは凄いかも。トヨタ恐るべし。

同時にクラスタフィニッシュパネルセンタも注文しようとするが、5k円近くもするらしいので断念。面倒だったのでサイドブレーキのブーツはまたも注文を見送った。

1999/07/28
共販に部品の発注に行く。ボールジョイントやらなにやらを注文する予定だったが、もうちょっと調べてから、という気になってしまい敵前逃亡する。ついでに純正ショックの値段を聞くが、前後とも一本15k円以上するので断念。社外品の2倍以上とは高過ぎ。

その後、仲町台のタイタへ。色々迷ったあげく、強化エンジンマウント一式、ロワアーム以外の強化ブッシュ一式、KYBのNewSR一台分を注文する。ショックはTRDでもよかったが、安かったのでこっち。合計で82k円ぐらいだった。半受注生産のものもあるらしく、ばらばらに届くらしい。9月までに揃えばいいけど……。

1999/07/26
ひょんなことから、9月にあおさんの実家に行くことになる。工具もプレス以外の主だったものはそろってるらしい。ということで、ショックの交換やらブッシュの交換やらエンジンマウントの交換やらをやってしまうことにする。早速パーツを発注しなければ。こんないい機会を逃してしまうのは勿体無い。

1999/07/24
免停講習の招待状が届く。8/23らしい。よりによって院試の前。むう、仕方あるまい。予想してたより料金安かったし少しはマシか。

1999/07/21
昨日の疲れでぐったりしているにも関わらず、潮風に当たったから、という理由で洗車なんかをやる。当初は洗車とカーステの修理に行くだけだったが、友達のターボタイマー取り付けに付き合わされる。ぐったりしながらも夕方まで頑張ってしまい、帰宅後発熱する。うぐぅ。

1999/07/20
血迷って房総半島一周なんてことをやる。8時出発、国1で秋葉原まで行き、千葉市内、茂原、そこから時計回りにぐるっと回って帰ってきた。午前1時帰宅。途中でカーステがまた死ぬ。また再生もイジェクトもできなくなる。どうなってんじゃい。

1999/07/14
教習所に電話。初心者講習の日を変えてもらう。原チャのやつと交互にやるので2週に一回しかできないらしく8/4だそうだ。他の教習所に予約の電話をするのも面倒なのでそれでOKとする。受講期限ギリギリだがまあよし。

オートバックス藤沢北店へカーステをとりに行く。伝票(?)にはメカニカルロック解除修正と書いてあった。つまり物理的に変になっていたということだろうか。とりあえず、駐車場で取り付け。こいつは楽勝だった。CDが6枚入ったままだったが、5枚のそれとCD券3k円分に化けた。一枚傷ついてしまったらしい。同じのまた買うかなあ……。

オイル&エレメント交換を実行する。サーキット走行を二回させてるし距離もそれなりに走っているし。フィルターレンチも買ったし自分でやろうと思っていたが、たったの1k円の工賃と実行する日を探すのが面倒だったためやってもらうことにする。オイルはelfのXJと迷ったあげくBPのVervisNeoにする。次回は前者を突っ込むか。

交換後はちょっと静かにちょっとフケが良くなったように感じた。多分。しかし油圧計は上がりまくる。アクセルを開けるとあっという間に5キロ(推定)まで行ってしまう。今までのはエレメントのつまりじゃなかったのか。これが普通だとすると、一番最初に入っていたオイルは何だったんだ?幾ら踏んでも油圧は上がらなかったぞ。粘度が思いっきり低かっただけなんだろうか。謎だ。

1999/07/13
教習所の方からも招待状が届く。車で来ないでくれと書いてあった。ちっ(爆)

豪雨の中、姉を保土ケ谷駅まで迎えに行く。雨で前が見えない。怖すぎ。ワイパー変えといてよかった。行く途中、助手席の一部が濡れていた。ウエザストリップの内側が濡れていたのでそこからだろう。やっぱ交換しないとダメかな……。

1999/07/12
EG6で無限やら秩父やら河口湖やらに行く。でかいパワーを引き出すのにタコと睨めっこをしなければならないNAは性に合わないなあ、と思った。登り坂で加速するのに6000以上回さなければダメというのがきつい。トルク、もうちょっと欲しいよなあ……。

修理中だったカーステが戻ってきたらしい。いつとりに行こうか。

1999/07/10
初心者講習への招待状が届く。7/21鎌倉自動車学校にて。学校のテストである。ちょうどその日は。いざとなったらテストをブッチしてもよいのだが。まあ、ずらしてもらうか。免許をとった教習所(関東自動車学校川崎校)に送り込まれると聞いていたのだがそうでもないようだ。合宿免許があることを考えれば当然ではあるが。あそこには行きたくないので好都合である。

1999/07/07
あおさんと工具その他を買いに行く。前日のうちに移動、翌朝5時まで呑んで翌日2限に出てから出発。まずはストレート横浜店へ私はショック交換をやりたい、という勢いがあるうちにスプリングコンプレッサー(約2.8k)と3/8メス1/2オスの変換ソケットを購入。パイプレンチは部室にあるのを使えばいいや、で落ち着く。オイルフィルターレンチも買おうとしたが、サイズがわからなかったので見送る。あおさんはコンプレッションテスターやら何やら色々買っていた。ヘッド面研1mmをかました原チャのコンプレッションを計るらしい。

続いてオートバックス港北インター店へ。フィルタレンチの他に安かった社外品のホーン(ラリーストラーダ)、ワイパーブレードのゴムを購入。早速ゴムを交換しようとするが、長さが足りない。俺はしっかりPIAAのAW11用のエアロワイパーのゴムを適合表で見て長さを確認して買ったはずだ。……。前オーナーのアホーっ。ちゃんとAW用の奴をつけろーっ。新品で買って開けてしまったゴム×2をどうしようかと途方にくれていると、「買ったゴムに合うPIAAのエアロワイパーを買って、今ついてるのに合うゴムを一本買えばいいんじゃない?」とあおさんのお言葉。……。了承。10秒はかかった(謎)。開けちゃったやつもいつかは使うだろうし。

今度はちゃんとブレードとゴムを持っていく。やっぱり現物合わせが一番である。そんな訳で、ブレードとゴムを購入。その場で交換。が、ゴムの方はちょっと長めになってしまった。俺はちゃんとゴムで現物合わせをしたぞ。……。前オーナーのアホーっ。ちゃんと長さを合わせろーっ。まあ、特に今まで問題なかったし、それでよしとする。んまあ、これはこれでいいか。

その後、246沿いのスーパーオートバックスへ行き、わざわざ立川のブロパ(爆)で飯を食い帰宅。やっぱり週末じゃないとダメか(謎)

1999/07/01
カーステを修理に出しにいく。それだけ。