車日記(2004年1〜3月)。
2004/03/22
吸気系を少々掃除。しかし、やったのは本当に少々で、エンジンを掛けて少々アクセルを開けながら、ブースト計の配管とキャッチタンク周辺から、エンジンコンディショナーを吹いただけ。キャッチタンクのホースにこびりついたオイルを何とかしようともしたが、ブレーキクリーナーとかではどーにもならず。早々に諦める。ブローバイがすごいだろーな、とは思っていたが、ここまですごいとは思わなんだ。キャッチタンクで受け切れてねーし。

掃除とは関係ないが、キャッチタンクのスロットル側のホースを外すとアイドリングが不安定になるが、ヘッドカバー側を外しても普通にアイドリングするのが不思議だった。キャッチタンクがチャンバー代わりになって、スロットル内の気圧が乱れない、と言うことか。実はタンク内で繋がってなかったりして。

2004/03/21
FD乗りになったなぐ氏に、セラ時代のタイヤとホイールを譲ってもらう。ブツは、エンケイブランドじゃないけどエンケイ製14インチ、オフセット+38のアルミホイールと、185/60のネオバAD07バリ山。合わせて4本15kと言う破格。有り難く使わせて頂きます。

2004/03/14 photos
配線図集を眺める。状況をまとめると、以下の通り

切れたヒューズはルームランプだと思うが、シガーライターも切れている可能性が高い。しかし、原因がよーわからん。鍵穴ランプがショート気味→過電流と言う図式だろうか。

昼食後、タイヤを冬から夏に交換。しかし、余りに晴れていて勿体なかったので、ジャッキアップついでにサイドブレーキワイヤーも交換してしまうことにする。タイヤが置いてあるところの近くに場所を確保し、後ろをジャッキアップ。たまたま居た同期の力を借りつつ、ウマを掛ける。相変わらずだが、ジャッキを買わにゃならんな、こりゃ。その後は、リアタイヤ外し→アンダーカバー×4外し、と行くところで、狭くて前側のカバーを外すのが困難に。しょーがないので、タイヤ付けたままだからと、ジャッキで前を少々持ち上げる。ちょっとだけ反則だ。

アンダーカバーを外し、運転席やらセンタートンネルカバーやらも外して、レバー側から順に交換。とにかく面倒の一言に尽きた。ケーブルの付け替え自体は、それほど難しいものではないため、特に問題は起こらず。それなりのスピードでやったにも関わらず、昼から始めて終わったのは夕方だった。その後、やっとこタイヤを交換。日暮れ前に終わって助かった。

サイドブレーキレバーのレバー比、つまり、レバーを上げる量とワイヤーを引く量の比を変えられないものだろうか、と、ふと思った。現状、サイドを降ろした状態から、ほぼ垂直までレバーを上げないと、サイドブレーキが効いた状態にならない。これを、日産車よろしくちょっと上げただけで効くようにできないか、と思った次第。理由は、サイドターンの時に有効そうだから、である。だが、結論は残念ながら難しそう、だった。レバー→センターのワイヤー→各輪のワイヤーと言う経路で、その接続部の比率を変えればよいわけだが、レバー→ワイヤーの比は、レバーの構造で決まるので、簡単な変更は不可能。センターワイヤー→各輪は、クランクで接続されているので、その長さの比率を変えなければならない。それも、なかなか難しそうだった。レバーが下がりきる位置を上げることはできそうだが、サイドレバーの警告灯が消せなくなる。なにか、良い手はないものか。SW用が使えたりしたら面白いんだけど。

2004/03/06
ふとそんな気になって、電動格納ミラーを使う。しばらくして戻ってくると、ミラーが戻らない。時計も真っ暗だ。と言うことで、またもやヒューズ切れ。あーなんだかな。こりゃ本格的に原因を究明せんといかんね。

2004/02/15
洗車。いつも通りに洗車をするが、エンジンフードに水をぶっかけると、オイルも流されてきた。雨の日のオイル溜まりそのもの、と言った趣。つまり、昨日、スチームはするとか言っていたが、それもちゃんとやったか怪しい、ってことか。電装品にオイルが被る、と言ってるのに洗う、と言う発言をした時点で気付くべきであったか。やっぱ、今度から自分でやろ。

2004/02/14
オイル&フィルター交換。と言っても、自分でやるのは寒くて面倒だったので、高浜jmsへ。RESPOのオイルが、全化学合成のクセに2.5kと安かったので、試しに入れる。昼に行ったので、さほど待たされることもなく作業終了。走ってみると、オイルの柔らかさに驚く。5W-30ってこんなんだったっけ、と思うぐらいに柔らかい、と言うよりも、滑らか。そのおかげか、いつものうるささと振動がウソのように、6000以上もきれいに回る。化学合成オイルでは、これが普通なんだろーか。

しかし、なぜか余り満足できない。確かにスムースに回るのは気持ちよいが、上まで回してもしょーがないエンジンだし、静かになったとは言え、室内がうるさいことには変わりない。回転の軽さが、粘り(?)のないように感じ、大きな違和感がある。が、まあ、慣れの問題だろう。デメリットはないが、さほどメリットもなく、鉱物油と同じ値段ならば選んでも良い、といったところか。

その後、思いつきで豊橋のファクトリーギアへ。地図を忘れたので勘で行く。さすがに辿り着けないだろう、と思い、コンビニで地図を立ち読み。しっかり、もうすぐ先、ってところまで来ていた。最近、不思議と良く勘が働く。店内は、メーカやブランド別にコーナーが設けられているスタイル。種類はそれほど多くなく、よく使う工具を選ぶところ、と言った趣だった。まあ、こんな工具があるんだ、というスタイルの工具屋とは別物、である。

ぼへーと見回っていると、SIGNETの1/2のラチェットが、エクステンションとかフレックスハンドルとかもついて2kチョイだった。余りにも安いので購入。少々回りが硬かったが、3/8じゃ力が足りないところに使えば良いので、まったく問題にならない。しかし、1/2のユニバーサルジョイントなんて何に使うんだろう。エクステンションをフレックスハンドル代わりにしろ、ってことだろーか。

2004/02/06
有休を取ったものの、それなりに暇があったので、ヒューズ交換を行う。やったのは、運転席足元、エンジンルームのバッテリー脇、ボンネット内の3ヶ所。運転席の足元は、マイナスドライバーでコジってあっという間に外れる。後は、この前買ったヒューズと交換するだけ。案の定、ルームランプのヒューズは溶けていた。バッテリー脇のは、フタの取り方がわからなかったので、適当にマイナスドラでコジったところ、豪快に破壊。ビニテで無理矢理ごまかす。ボンネット内は特に変わったことはなし。その後、もーいいだろ、てな気分になったので終了する。

交換後、時計、ミラー、ルームランプのONは動くようになったが、ドア連動の方は復活せず。別の原因があるようだ。はたして、ヒューズ交換で性能方面で何か変わるんだろーか。アイドリングが落ち着いた気もするが、気のせいだろう。

2004/02/01
蓼科からの帰りは、152→361→r18→153→256→19号以降は昨日のルートで帰る。r18は駒ヶ根まではかなり良かったが、そこからしばらくすれ違いできない箇所がほとんどで、速度は全然稼げず。2台ほどとすれ違ったが、そのたびにどちらかが戻るハメになった。この辺は、新たな道を探さなければ。256は、道は悪くないものの、それなりに曲がりが厳しく、車通りも多く、1時間掛けて153から19号に平行移動しているイメージ。19号は256が高山の方に行く信号を先頭に、長々と自然渋滞。バイパスじゃないとこの20号と、19号はイメージが被る。やはり、153→裏道と行くのが一番早そうだ。

2004/01/31
またもやスキーで蓼科へ。今度は、豊田から419→r20→r66→19号→中央道と行く。恵那までは、車も少なく、道も厳しくなく、非常に良いペースで行く。恵那から中津川までは事故渋滞に捕まり、中津川からの中央道は、ずっとアクセルを踏み続けてて足首が痛くなったりした。やっぱり高速道路は好かん。時間を買うのに金だけじゃなく、体力も使う。

2004/01/24
木戸氏を引き連れて、久しぶりにストレートに行く。首振りエクステンションやら10と12のメガネレンチやらヒューズのセットやらを購入。ヒューズは、多すぎるとは思うが、一つ一つそろえるのも面倒なのでまとめて。余ったヤツをまた使うかはわからないが。10と12のメガネは、なくしたものを補充する目的だったが、なくしたのは12と14と言うのに買った後で気付く。……。そのうち、12と14のを買って、10と12は誰かにあげるか。

2004/01/18
蓼科から帰る。帰りは、20号→19号→土岐から裏道→419、と言ったルート。12時半ぐらいに諏訪を出発、ちんたら帰って6時ぐらいに帰宅。19号は信号が少なく、平均速度は稼げそうだったが、オービスが多いのが面倒そうだ。

夕飯を食いに行って同期と偶然会った帰り、そのうち一人をAWに乗せる。しかし、シートに脇が入らず、背中が付かない、とのコメント。脇が窮屈、との意見はあったが、入らないのは初めてだ。胸囲100センチオーバーとか言ってたのは伊達ではなかった。さすがは、熊と形容される男だ。

2004/01/17
朝から雪が降りまくる。滑りへはG車で行ったのだが、戻ってくると、AWの背が10cmほど高くなっていた。止めていた場所から道路まで、道も長ければアップダウンもあるため、このままでは翌朝出れなくなる、との判断がくだされる。すぐさま、道路から近いところに移動。しかし、新雪が深い所為か、いろんなところでスタックしまくり、そのたびにゆっちに押してもらう始末。車重が軽い所為だろうか。トランクに砂袋と言う話も納得だった。

2004/01/16
冬の蓼科へ。仕事をそれなりのところで切り上げ、153→飯田から中央道と行く。153はそれなりに空いていた。しかし、スタッドレスが思った以上に食わず、非常に神経を使った。うっかり夏タイヤの感覚で進入しそうになり、焦ることもしばしば。ブレーキも、普段の3割5分ぐらいしか使えない。まあ、これはこれで練習になった、と言うか面白かったが。飯田へは2時間ほどで到着。蓼科到着まで3時間ほどだった。

G車の横に並べ、ミラーを畳もうとボタンを押すと、何も起こらない。何回ボタンを押してもうんともすんとも言わなくなった。こりゃどーゆーこっちゃ。気付けばルームランプは完全に点かなくなっている。時計も表示されていない。ってことは、ヒューズ切れか?まあ、走行に支障はないから良いんだけど。

2004/01/11 photos
スタッドレス引き取り&履き替え。タイヤを出品されたのは豊田市の方だったので、AWで取りに伺う。もちろん、それを見越した。地図と勘を駆使して、普通に先方のお宅に到着。お代を払い、AWに積み込む。少々の試行錯誤の末、シート裏に2本横向きに立てかけ、その上に2本水平に重ね、無事に搭載完了。重ねた2本は運転席側からじゃないと入らなかった。タイヤを積むときは、シートを外していっぱいまで前にやった方が平和だろう。そうすれば、シート裏に平積みできそうだ。

帰寮すると、最後のギャランVR-4が。木戸氏だ。今日が納車で、帰ってきたところとのこと。とりあえず、いろいろと見る。エンジンルームは、案の定、ぱっつんぱっつんだった。後ろ側のタービンはバルクヘッドとエンジンの隙間にあり、手も工具も入ると思えない。そのわりに、ヘッドライトの後ろは若干の余裕があったり、エンジンの上はパイプが走ってなかったり、まだ良心的な方だと思えた。他には、車高調やらレカロやらピラーメーターやらお高いホイールやらがくっついていた。室蘭から来ただけあって、アンダーフロアのサビもなかなかだった。

飯を喰らいに行った後、とっととタイヤを履き替える。ブレーキブリーダーのカバーを交換しつつ、普通の速さで作業をしたが、終わるころには空がオレンジ掛かっていた。とりあえず試走。すると、低速時、左にステアを切りながら、思い切り前に荷重を掛けると、右前からヒィィィと鳴るのが発覚。前にでかいタイヤを履いてたときも、鳴っていた覚えがある。何気に175/65R14は径がでかいし、その所為でどっかに干渉しているのだろう。まあ、そーゆーブレーキをしなければ大丈夫、ということで、ひとまず様子見といったところか。

2004/01/10
翌週に長野まで呼び出しが掛かったため、スタッドレス探しに旅立ったが、結局ヤフオクでブリザックとてっちんを確保、というオチ。しかし、それは最適な選択であった。ゆっちとみきおくんに感謝だ。

2004/01/04
三河に戻る。戻りもほぼ下道。西湘→箱根新道と行ってとっとと関東を脱出しようかと考えたが、西湘から箱新の間がかなりの渋滞。直接乗り継ぎできる道路を作ってはいたのが救いか。これができてくれるとすごく有り難い。こいつができれば、大磯から箱根峠まで500円であっという間だ。

基本的にずっと1号だったが、大崩海岸→牧ノ原→菊川→掛川と回り道する。大崩海岸は、道が崖崩れでふさがれて、その代わりに海に橋ができていたり、思いっきり見上げるぐらいの角度の段々畑があったり、岸壁に張り付くように建物が建っていたり、と非常にファンタスティックだった。ものすごくなった熱海、といったイメージだろうか。牧の原は、一面が茶畑、という光景にも出くわした。こちらもなかなかお目にかかれない光景だった。